篠田真由美お仕事日誌

2024.03.03

読了本『お墓、どうしてます? キミコの巣ごもりぐるぐる日記』 北大路公子 集英社

 

 北大路さんのエッセイは面白い。笑えるし、なごむ。冬の日の床暖房のようだ。しかし、自分は「北大路公子さんのファンです」とはいえない。なぜなら彼女のために、ただの1円も支出したことがないからだ。以前は小説すばるという雑誌が毎号送られてきたので、ここで連載している彼女のエッセイを真っ先に読んだ。しかし本を買ったことはない。申し訳ないが、何度も繰り返して読むということはないだろうな、と思ってしまったのだ。今回の本も図書館で、それも「北村薫さんの未読のエッセイとかないかな」と思いながら本棚を見ていたら、目に入って借りてきましたという、ほとんど申し訳ないの自乗のような事情です。

 エッセイを楽しく読むという、その「楽しい」にはどんな理由が含まれるだろう。北村薫さんのエッセイなら、なによりもそこに含まれる文学的素養の深さと広さに感動してしまうし、話題がそれからそれへと繋がる話術の巧みさに陶然となる、というのがある。あるいは「そうそう、こんな思いを自分もしたことがある」という共感のうなずきが「楽しい」場合もあろう。しかし北大路さんと自分は、性格的にかなり違いがあって、共感するということがまずない。なのに読んで面白いのは、やはりその話術の芸、語りの面白さだろうか。

 この本は2020年の春から始まっていて、つまり新型コロナウィルスの流行が全国的に広まり、世界と日本がわやわやになっていた時期に、リアルタイムの生活が描かれているのだ。性格は違っても「あ、そうそう」「こうだったね」「いや、あのときは」と、同感することが次々と現れる。そして、たった3.4年前なのに、一応流行が下火になったらしい今からかえりみて、その時期のことがすでにだいぶ遠い記憶になっていたことに、改めて気がつかされて啞然となる。いや、そうだったわ。マスクなかった、あっても馬鹿な値段になってた、布マスク配りとか、自粛要請とか、go to travelとか、あれがたった3年前のことかと、自分で怪しむことに。

 こういうエッセイは、同時代の記録として大事なんじゃないのかと改めて思うのでありました。

2024.03.02

 読了本『詩歌の待ち伏せ』 北村薫 ちくまぷん個

 

 まずタイトルがいい。詩を読もうと思ったら、普通は本を開くだろう。読むつもりで読むのだ。もちろんそうして開いた本の中で、未知の作品に出会って、したたかに眉間を撃たれるような思いをすることはあり得る。しかしそれでも、そのときは「詩を読もう」という心構えがこちらにはある。ところがそうではない予想外の出会い、道を曲がった途端にいきなり出くわすような「詩歌」があり得る。いや、それはあたかも、こちらを待ち伏せて物陰に潜んでいたもののように感じられる。

 学生時代の北村薫が、体育の単位を取るのに必要な講義を受けに文学部の端の教室に行く。その教室を知っているので、なんだかなまなましく懐かしい。するとそこの机に短歌が書き付けられていた。後で分かったことに、2首とも塚本邦雄の歌だった。これこそ、若き日の北村を待ち伏せていた「詩歌」だったのですね。

 実は自分も同じ大学にいて、少し似たような「詩歌の待ち伏せ」に出くわしたことがある。語学教室の机の物入れに、わら半紙をホチキス止めしたガリ版刷りの薄い本が入っていた。中に並んでいたのは短歌でした。歌は覚えていないのですが、表紙に書かれていた名前を覚えています。確か「康珍化」だったかと思うのだけれど、その名を「桃色吐息」の作詞家として見たのはずっと後のことです。今調べてみたら自分と同い年で早稲田の一文にいたらしいから、そんなものが机に残っていても不思議はなく、持ってきたその本は、たぶんいまもどこか書庫に埋もれているでしょう。

 それから、やはり自分も塚本邦雄と出会ったのは大学生の時で、文学部キャンパスにある小さな生協の本売り場で見つけ、なにげなく手に取ったのが『眩暈祈禱書』。キリスト教モチーフの選集だった。以来、塚本の本は大学近くのいまはもうない書店などで買い求め、駿河台下の三茶書房でサイン本を手に入れたりもするように。

 詩歌は仮面の暗殺者のように、暗い曲がり角で人を待ち伏せしている。油断大敵。

2024.03.01

 読了本 『読まずにはいられない』2012年『書かずにはいられない』2014年『愛さずにはいられない』2017年 新潮社

 北村薫さんのエッセイ集を、図書館でみつけたのでまとめて借りてきた。1人の作家さんの本は、ある程度まとめて読むと発見がある。といって新刊書をがしがし買うのは財布も置き場所もしんどいので、そこは図書館を利用させてもらうことになる。内心「ごめんなさい」と小さな声でいうことになるが。

 実は今これを書き出していて、「はて、この本の返却期限はまだ過ぎていなかったろうか」とはたと不安になり、一度書く手を止めて地元都市予感のサイトに行き、毎ページにログインして貸し出し記録をチェック、あと1週間の余裕があると確認してほっと胸をなで下ろした。まことに便利な時代になったもので、いっさいネットをなさらないという北村さんはご不便ではないのだろうか、などと首をひねってしまう。その自分でもスマホは持っていないので、当然のようにスマホを要求される場面に遭遇すると、周章狼狽のあげくにふてくされたりする始末なのだけれど。

 閑話休題。

 ひとりの作家の本をまとめて読む利点は、その人の持つテーマがあちこちで、ちがった形で現れているのを、紙に散らばった点を繋ぐように辿ってみることが出来る点だろう。このエッセイ集は、いろいろな媒体に発表されたごく短いものを丹念に集めてある。読者対象や場が違うから、語り口が変わる。角度が変わる。そこが面白い。この前に感想を書いた『水』などは、座談の名手がつれづれにことばを紡ぐように、話題があれからこれ、これからそれと移ろいながら広がり、どこまで行くのだろうと追いかけながら驚いていると、最後にストンとオチがつくようなものだったが、こちらは短い断章のつづれ織りになっている。

 読んでいるときに、「ああ、自分が感じていたのはまさにこれだ。そこが過不足無く語られている」と思ったくだりがあるのだが、困ったことにそれがどこに出てきたのかわからない。わからないからあちこち拾い読みの再読をしていると、そこからそこへとページをめくることになっていっこうに目的を達せられないまま、時間ばかりが経っていく。

 自分が探していたのは、「小説は読者に読まれることによって最終的に完成する」という自分の信念を、北村さんも同じように考えていらしたというのがわかり、「おおっ」と喜んだ部分でした。

 だから、蒸し返しになりますが、マンガにせよ小説にせよ、原作者はドラマ化には慎重でなくてはならない。なぜならそれは読者それぞれの脳内に完成した「それぞれの作品」を、揺るがせる危険をはらんでいるからです。特に連載中で完結前の作品は危ないと思います。原作者自身もその影響を逃れられないでしょうし。

2024.02.29

 読了本『クローズドサスペンスヘブン』 五条紀夫 新潮文庫nex

 

 『本格ミステリベスト10 2024』で紹介されていた作品。クローズドサークル+特殊設定。タイトルに「ヘブン」とあるが、そこは天国ではなく、この世に残心ある死者が立ち止まった中有の世界とでも言うか。庭に囲まれた美しい西洋館で目覚めた5人の男女は、その館で死体となって発見された人間らしい。記憶を無くした彼らは、昇天するためには事件の真相を解く必要があるということを自覚するが、手がかりはほとんどなく・・・

 通常のクローズドサークルの連続殺人は、特にそうした設定がクリシェと化した現代では、残酷や狂気のてんこもりに辟易させられることが多い。しかしこの作品では、取り敢えず殺人はすべて起きてしまっていて、集められた死者たちには「やっぱりなにがあったのか真相を知りたいなあ」という程度の、ぼんやりとした希望があるだけだ。しかもそこは小さな孤島とはいえ、食料は自然に届けられるし、生理的な不快感もない。時間が限られているわけでもないらしく、どうしても真相を解かねばならないという必然性もないので、「サスペンス」にも乏しい。まことにのんびりとしたクローズドサークルで、読む分にはストレスはないけれど、なんだかなあと首をひねってしまう。

 最終的な回答をロジカルに推理出来るかというと、伏線は一応あるけれど無理だろう、たぶん。ただ途中から「こうじゃないの」くらいの憶測は湧いてきて、それは当たってしまうので、謎の難度はさほど高くない。そして動機がなんとも弱いというか、そんな理由で殺されるのはあんまりすぎるしたまらないなあと思うのだが、いまさら怒ったところで生き返れるわけでもなし、彼らはその結果を受け容れていく。なんとなく、狐につままれたような読後感が残った。

2024.02.28

 本日は髑髏城本の打ち合わせです。5/19の文フリ合わせですが、通販もします。刷り部数をどうするかで迷っています。盛林堂さんで取り扱ってくれる予定なので、イベントに来られない方は予約が始まったらお願いします。その入り方で部数を決めますので、どうぞよろしく。 

 

2024.02.27

 本日エクスナレッジに念校のゲラを返送しました。1−2−3−念 紙ゲラをこんなな回数出してもらったのは初めてです。大変に丁寧な作り方をしてもらって、心から感謝です。

 いよいよ発売も一月に迫ってきました。

 だいたいがすでに失われた建築か、架空の建築ですが、いまも見られるものも少数登場します。左の建物は山形市にあります。

 これは福島県伊達市。

 左上が函館の街にある和洋折衷の町屋。下の宮殿はトルコのイスタンブールにあります。

 ゲラを返してしまったので、本棚の整理を再開。そうしたらこんなものが出てきました。武部本一郎画伯の火星シリーズのイラストです。

 この小説、好きだったんですよね。でも考えてみると、好きになったかなりの部分はこのイラストのおかげだった気がする。主人公のジョン・カーターが、とても端正な美形に描かれていたもんで。

2024.02.26

 昨日北村薫さんの『水 本の小説』という本に出てきた、「記憶に残っているけど作者名もタイトルも分からない短編小説」の話をしました。その方の記憶が錬成してしまったらしい、元の小説からは大きく隔たった「作品」。そのイメージがあまりに素敵で、かつあざやかなので、そのことを書きたいのですが、北村さんの本自体2022年に出たものでまだ新刊で手に入るようですし、他人様の話で場所をふさぐのも無粋な話だと思うので、ぐっと我慢して書きません。気になった方はどうか、本を探してみてください。本好きの方なら絶対「損した」とは思わない本です。

 なので、それに繋げた話です。昨日も書いた、「小説は読まれた人の脳内で完成する」という私のいつの頃からの信念ですが、最近のあのマンガ家さんとドラマ化の軋轢の話題に繋がります。自分は基本、原作のあるものを別の媒体に加工する、というタイプのものがあまり好きではありません。それはやはりこの、「自分の脳内で完成していた作品」を、崩されるのが嬉しくないというところから来ているのだと思います。どんなに原作に敬意を持って、深い考察に基づいて再創造されたとしても、それはドラマ製作者の「読み」であって、自分の読みではない。それがぴったり合うことはまあない。

 例を挙げれば映画『ロード・オブ・ザ・リング』はトールキンの『指輪物語』のドラマ化としてかなり健闘しているとは思うものの、簡略化されたプロットはトールキンの神話体系を生かし切ってはいないし、キャラクターも変形されていて、不満を数え上げれば決して少なくない。こんなんじゃないや、と歯噛みしたところは数知れず。しかし映像イメージというやつは強烈な感染力を持っているので、「フロドは子供じゃない、成人したホビットだぞ」と思っても、イライジャ・ウッドの顔を頭から消せるかというとかなりきつい。ここらへんがドラマ化の弊害だと思います。

 あの亡くなられたマンガ家さんは「原作通りに」と強く願われたとのことですが、マンガや小説をテレビドラマにする、映画にする、舞台にするというとき、当然ながらそこに少なからぬ改変が加えられます。俳優の都合や週一のドラマとしての引きといった理由からも、変えられることは免れない。そんな次元のことならある程度承知していただろうと思いますから、原作者から見るととても容認しがたい改変が加えられていたのでしょう。それが原作に対する敬意を欠いたような、と感じられたのだと。

 ただ私は、昔建築探偵の同人本がかなりの量制作されて、それこそ読者たちにとってのいろいろな京介と蒼が生み出されていたとき、これを否定してはいけないなと思いました。作品は完成して手渡したときに作者からは離れるので、「これはこう読んでね」「こうじゃないからね。そんな読み方は止めてね」といって回ることはできない。でも、そんなことはプロの創作者ならみんなわかっているはずなのですよ。

 なのであの問題を「原作を改変させない原作者の権利」みたいなところに持っていくのは、ちょっと違うんじゃないかなという気がしています。だって作品の受け手はみんな、それぞれの読み方をしているはずだもの。そこに正解も不正解もない。ただ映画とかテレビドラマの制作というのは、個々の読者の受容と解釈とは量的にも質的にも違うところへ突っ込んでいくはずなので、原作に愛情としかるべき敬意をもって向かうか、ただ商売上の便法として利用しようとしているかが問題。あのマンガの原作者には、状況が決して良い方に向かうとは感じられなかったのでしょう。不幸なことです。そして、最初からNoといえれば良かったのにね、と思います。せめてマンガが完結してから、「この話を素材にして、ちょっと違う方向からドラマにさせてもらえませんか」というアプローチであったなら、原作者も改変に寛容になれたかも知れないのに。

2024.02.25

 読了本『水 本の小説』 北村薫 新潮社

 

 小説、とタイトルに入っているけれど、エッセイです。文学エッセイ。とても北村さんほどの数の本を読むことは間に合わないから、その読まれた本の上澄みを味わわせてもらえるような、この手のエッセイに手を伸ばすという感じで、映画を倍速で飛ばし見するのと少し似たようなものかも知れない。自分で適当に飛ばすのではなく、北村薫という脳髄をフィルターにしている、そのフィルターを信頼するわけですが。

 いろいろあちこちに「あっ」と思う下りが出てくるのだけれど、それをいちいち挙げていると膨大なことになってしまうから、一番印象に残ったところのことを書きます。記憶に残っているけれどタイトルも作者も分からない短編があって、こういう作品をご存じではないですか、という相談を受けたという。そこまではわりとよくある話の外側。そして結局「記憶の中の作品」にぴたりと嵌まるものは見つからない。これとこれが合体して、そういう記憶になったのではないか、という話になって、相談を持ちかけた人も「そうかもしれない」と納得して終わる。しかしその人の記憶していた話のイメージというのが、とても素晴らしいのです。美しいし、「これとこれ」との間にはかなりの隔たりがある。ならばその隔たり分はどこから生まれたかというと、記憶していたその方の脳から出たわけです。

 私は、小説というのは作品を読んだ読者の脳内で初めて完成するもの、と強く信じています。そして小説はマンガや映画より、読者の脳が関与する部分がずっと大きい。あなたにはあなたの「作品」があり、それは他の誰かのとは違ったもので、作者の考えた「作品」とも違う。そこが小説の素晴らしいところ。その証拠に、この読者は明らかにその素材となったらしい作品から大きく飛翔した、彼自身の「作品」を脳内に生み出したのですから。

2024.02.24

『僕らを育てたシナリオとミステリーのすごい人 辻真先インタビュー』が、2013年の第1巻以来、ついに今回の9巻で完結した。辻真先先生の現在に至るお仕事の、完全なリストは存在しない。この本の1巻にはシナリオの不完全リストが掲載されているし、小説作品のリストなら洩れはあるにしてもネットに存在する。しかしその全貌は依然として、大きすぎて視野に入りきらないくらいの高さと幅と厚みを持ってそびえている。

 自分にしても、いつどこから「辻体験」をしているか、確かなことはいえない。なにせ、幼き日に我が家のぼろい白黒テレビで、「バス通り裏」や「お笑い三人組」を見ていた記憶がある。実写版「ふしぎな少年」なら、主人公の『時間よ−、止まれ!』という声と、テレビ収録中のスタジオで時間が止まったので、殺陣の最中の男が倒れてきた戸板を受け止めたまま止まっている、その間をサブタンが歩き抜けるのだが、なんの特殊効果でも無いので、その俳優がはっきり動いてしまった、というのがいまもはっきり覚えている。そのドラマを作った人と、半世紀未来の自分が直接顔を合わせてお酒をおごっていただく、などということが起きてしまうのだから、まことに人生は思いがけないものだ。

『仮題・中学殺人事件』を含む『合本・青春殺人事件』が東京創元社から出たのは1990年で、これは新刊で買い求めたから、そのときはすでに『仮題』を借りるかどうかして読んでいたはずだ。ミステリと言うことなら講談社ノベルスで『十角館の殺人』が出たのが1987年、ただし自分が読み出したのは1988年からで、東京創元社の日本人若手作家のハードカバー刊行が始まり、鮎川哲也賞の第1回刊行が1990年だから、つまりはその頃自分の読書もミステリ方面に大きく舵を切ったことになる。ただ、それから辻作品のファンとなったのかというと、実はそんなことはなく、自分が目覚めたのはずっと遅い2005年の『沖縄軽便鉄道は死せず』からで、辛うじて間に合ったというのは、この当時はブックオフに行くとノベルスや文庫の辻ミステリが、汐干狩場の浅利のようにざくざくと見つかったのである。買うなら今のうちと思って、目に付く片端から買いまくってリストを埋めたが、いまでも手に入らないものは複数ある。

 まあそんなことはどうでもいいので、ミステリ作家辻真先論はいずれ誰か生きのいい若者が書くだろう。そのときに、この9冊のインタビュー集はまたとない資料となるに違いない。それだけでなく昭和戦後の日本で、初期のテレビドラマがどのように作られていたか、アニメーションの草創期はどのようなものであったか、それを知るためにも、これが商業出版されないなんて、日本の出版社はほんともう、どうかしてるなと思うのだった。

2024.02.23

 本格ミステリ大賞候補作2作です。ネタバレはしていませんが作品の趣向に触れています。

 

『アミュレット・ホテル』 方丈貴恵 光文社

 セレブの犯罪者だけを受け容れる会員制ホテル、という、特殊設定ミステリの連作。最初の1作で「おっ」と思わされた。宿泊客はホテル内で殺人や傷害事件を起こさないこと、ホテルに損害を与えないこと、がルールで、事件が起こればホテル専属の探偵が推理して犯人を特定し、処理する。なかなかにとんがった設定で、特に第1話はあざやか。すでにおなじみの**トリック使って、意表を突く展開を作り出している。

 ただ、短編の出来としてはこれが最上という印象。舞台が限られている分、事件も小粒で、1冊の本として見た場合、長編よりもインパクトが弱い。せっかく面白い設定を作ったのだから、長篇としてそれを生かしたミステリが読みたかった。つまり大賞とするにはもうひとつかな、と思った。

 

『地雷グリコ』 青崎有吾 角川書店

 こちらも連作短編だが、これは面白かった! 登場人物のほとんどが高校生で、ユニークなゲームに推理力を競い合うという設定が、やはり一種の特殊設定味を漂わせているが、双方納得のゲームであるから犯罪には当たらず、血は流れない、殺人も傷害も起こらない。乱歩の定義からすれば探偵小説のジャンルから外れていることになるが、論理と推理により対戦相手に勝利する、その過程はスリリングで、意外な結末のサプライズもある。そして5作の短編が、後になるほど問題として難度を上げていくこと、名探偵的な位置づけの射守矢と、いわばワトソン的な鉱田の中学時代の友人で、名門の高校に進学した雨季田との間に、なにやら因縁があるらしいというエピソードが浮上し、最終話でふたりの対決と、過去に何があったかで盛り上がる。

 上手い。生首が転がらなくてもミステリは書ける。密室じゃなくても謎は作れる。というわけで、いたく感心してしまったのです。本ミス大賞の投票には候補5作全部読まないとならないんだけど、現時点ではこれに投票したい気持ちがとても大きい。

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