篠田真由美お仕事日誌

Sherlock回顧 11/さらに 未練がましくあーだこーだ

 S1E3のクライマックスを回顧してしまったら、いまさらのように過去のドラマが面白かったな、しかも心理描写的にきめ細かかったな、と痛感し、それにつけてもS3の特に後半は、と愚痴りたくなってしまうのだが。

 自分は、このドラマはかなり出たとこ勝負で製作されたと思っている。S1のときは続きが作られるかどうかわからなかったって、制作者本人が語っているんだから、疑うことはないでしょう。クリフハンガーも敢えて答えを用意しない。いざとなったらその時点で、制作者同士顔を合わせて頭をひねって答えを出す。その綱渡り感がいいよね、と、自画自賛していたんだと思う。S3のラストですら、「ユーロス=ホームズ家の妹」というのは決まってなかったというんだから、その発言に耳をふさいで、全体構想を読もうとしてもそれはひいきの引き倒しでしかない。
 あんまり長期的な展望がなかったろうという判断の状況証拠のひとつは、ジョンのブログでかなり早々にタイトルとして使われた「六つのサッチャー」がS4E1に再登場し、しかもサッチャーの必然性が薄いという、どう見ても手抜かりのような事案や、S3のシャーロックがヤク中を装って敵の油断を誘おうとする、という「瀕死の探偵」からの引用が、S4E2で繰り返されるといった、どう見ても効果的ではない趣向のだぶりからも推測できる。これをシナリオ的に故意の繰り返しだ、という見方をする人もあるようだが、自分はそれを取らない。なぜなら繰り返されることによって、ドラマがより面白くなっているとは思えないからだ。
 初期のドラマが濃くてきめ細やかだったのは、それだけ構想に時間が使えたからだと思う。後になるほど人気が災いして、スケジュールに追われるようになってしまい、結果として質が低下した。俳優のパフォーマンスは落ちなかったが、シナリオが粗くなった。身も蓋もない結論だが、現実としてそれは認めるべきではないだろうか。

 ただシーズン4までを後になってから見直して、似た構造のシーンを対比してあれこれ考える、ということはある。これはシナリオがそのように設計されていたという意味ではなく、視聴者側の深読みの楽しみである。制作者の意図したことではない。その両者を混同することは避けるべきだ。
 対比のひとつが前回の記事で書いた、S1E3のクライマックスと、S3E3のクライマックスの比較だった。ふたりの友情の山場であり、名場面である前者。敵と対峙するふたりという等質の場面でありながら、ジョンの性格の点で納得できない結果になり、友情の確認ではなくむしろその終わりの始まりとなった後者。銃撃という点ではS1E1と対比することもできるけど、それでも友情の始まりと終わり、という風に見える。
 そんなことを考えていたら、もうひとつ対比を思いついた。ふたつの爆発せずに済んだ爆薬、S1E3は同じ場面で、もうひとつはS3E1の地下鉄車内のアレだ。正直このシーンは、初見のときは「えー」と思った。いくらなんでもシャロ、ひどすぎね?と。ジョンの気持ちをオモチャにするにもほどがあるよって、それはいまでも思う。だけどS1E3を思い直したら、もしかするとシャロもこのときを思い出していたのかな、という気がしてきた。
 我が身を盾にしてもモリアーティの狙撃手から自分を守ろうとしてくれたジョン、こいつを倒すために一緒に死んでくれ、というアイコンタクトに、ためらいもなくうなずいてくれたジョン。シャロはもう一度、爆弾を前にしてジョンに同じように言って欲しかった。自分の方が悪かったのは百も承知で、赦されたかった。友情を確認したかった。それはもうガキの願望だけど。そう考えるとシャロの人でなしな嘘も、赦せるかな、という気がしてくる。
 でもこれは勝手な深読みで、制作者はそこまで考えてなかったろう、というのが正直な見方だけどね。

 ちょっと必要があってピストルの弾速を調べたんだけど、たとえばルパン3世の愛用するワルサーP38で、だいたい秒速300メートルってところ。もちろん300メートルも離れていたら、着弾はしてもまず当たらない。当たる距離から撃たれたら、10分の1秒よりさらに短い時間で弾が届く。自分がよけるのもまず無理。つまりあのときのシャロは、シャツの下に防弾チョッキを着込んでいたのでない限り、無意味な自殺行為をしていたわけだし、メアリは超能力者。撃たれた胸が血まみれになって、S3E3のマイパレ・モリーの解説を裏切っているところからしても、あのS4E1のラストはなにかの間違いだと思うしかありません。
 いくらメアリを劇的に退場させるためだって、そんな場面を無理やり作ったこと自体、シナリオの質的劣化だというしかない。忙しかったのね、と苦笑するしかないんじゃないだろうか。

2017.09.09

 今日は秋晴れ。結局夏は終わっている。昼間は陽射しが強くて、かなり暑くはなったけど、残暑という感じとは違う。残暑なら、「暦の上ではとっくに秋なのに、夏が続いているよ、蒸し暑いよ」という感じだから。ここのところは夏が暑くて長くて、これが地球温暖化か、ぎゃあっ、という気がしていたのが、最近は梅雨がずれたり、妙に夏が短かったり、暑さは35度とかすごい数字が出ても、わりと短いような気がするんだけど。

 曼珠沙華の茎が出てきた。最初は一見色の薄いグリーンアスパラみたいに見えます。そこがだんだん赤みを帯びてつぼみらしく見えてきて、それから広がってくる。友人が見に来たいというので、花の具合はどうだろうと、いつになく気に掛かる。地元だとありがたみが薄くて、そういや人が多いわ、くらいの感想しか持たなくなってしまいます。それにまあ、一所に固まって咲いているより、畑のヘリや林の縁に一むら咲いている、くらいの方が風情があって自分は好きなもんで。明日あたりちょっと偵察してこよう。

 アメリカ映画でディケンズと「クリスマス・キャロル」が題材になった「The man who invented Christmas」というのが公開されるらしい。ディケンズ邸はロンドンに行った時、ツレと訪ねた場所なのでぜひ映画も見たい。そこでは「キャンドル・ナイト」のような催し物も行われるらしい。19世紀そのままに保存された家の中で、ろうそくをともしてディケンズ作品の朗読とかしたら、なかなかいいムードだろうな。といって、自分まともに読んだディケンズといったら、絶筆の中断作「エドウィン・ドールトの謎」だけじゃなかったかな。「クリスマス・キャロル」はどうも、子ども向けリライト版しか読んでいないような。未来のクリスマスの精霊が、かの諸星大二郎の初期傑作恐怖短編「不安の肖像」そっくりで、子供心にすごく怖かった(むろん諸星マンガを読んだのは「クリスマス・キャロル」より後)覚えがある。

読了本『忌物堂鬼談』 三津田信三 講談社ノベルス 完全に怪談の定式にのっとりながら、読者に罠を仕掛けたり伏線を散らばしたり、という、ミステリ的手法を効果的に使う、いかにも三津田さんらしい新作。

2017.09.08

 朝は曇っていたけど、晴れて気温が上がってきた。でも、すでに秋ですね。というわけで、仕事場の近所の家にある、ギンモクセイの大木に花がつき始めていた。ギンはキンより咲くのが早いんだけど、それにしても今年は早すぎると思うよ。

 山形旅行のことは、建物の話で長くなったので途中で止めてしまったけど、あの晩泊まった「広河原温泉 湯の華」というのも、かなりの秘湯だった。といってもちゃんと車で行けるんだけどね。カーナビでは出ませんよといわれていて、目標になる国道そばのホテルのあたりに分かれ道と看板があると聞いたんだけど、その看板を見落としてしばしうろうろ。それからやっと看板を見つけて国道から山懐へ。谷あいだけど民家はほとんど無い、一車線ぎりぎりの舗装道路を延々と中に入っていき、神社があって舗装が尽きて「ここから8キロ」という看板。後はダートだから揺れるのなんのって。いい加減揺れくたびれて「まだかよ〜」と叫びたくなったときに、ようやく到着した。つまりは山道のほんとのどん詰まり。国道から1時間以上かかってる。
 前にも書いたようにここは日本で唯一、入れる間欠泉つき露天風呂なのだけど、そんなところでも生ビールはあるし、ウォッシュレットはあるし、飯は美味いし、というのがなんかほんと、すごくね? 日本に生まれて良かったにゃあと、しみじみ愛国の情を覚えるのはこんな時。源泉温度が35度と低めなので、内風呂は加熱してるけど露天は加熱無しで混浴。ただしバスタオル巻いて入れるし、湯は赤い鉄色なので全然透けませんが、底が温泉成分で超ぬるぬるなので、下手すると滑るし、タオルは落ちるしという、一種デインジャラスな味付けもございます。せっかくだから吹いている温泉を撮ろうとがんばったんだけど、少し塩分もあるんで落としたらカメラがいっぺんでおしゃかになりそうだし、足底はめちゃくちゃすべるし、カメラを持って両手を挙げて腰を浮かすとタオルは落ちるし、いやあ、なんともかんとも。
 翌日は米沢の北にあるワイナリーに行き、ソーセージ屋さんと、地のもの野菜が豊富で超安い農協と、日帰り温泉に立ち寄って、米沢牛ハンバーガーでランチにして、ご贔屓の東光酒造で試飲して酒買って、帰りがけにますむらひろし画伯のイラストラッピングバス、昨年撮影し損ねたのを見つけてあわてて激写。福島飯坂インターから高速に乗る前に、前日見損ねた旧伊達郡役場の建物を見学。といっても残念ながら、階段はシートに覆われて上は見られませんでした。しかしさすがに土木県令三島通庸のいたところからか、役所系の建物も立派でありました。
 圏央道と東北自動車道が繋がったおかげで、こちらに来るのが楽になったら、山形、温泉いいし、食べ物美味いし、かなり惚れています。

Sherlock回顧 10/ 未練がましくS1E3のクライマックスとS3E3の同じくについて

 いつもお世話になっているブログの方が、ジョンのブログの以前のものを翻訳してくれていて、ジョンから見たグレート・ゲームを読ませてもらい、「わ、こんなことが書かれていたんだ」とかなりびっくりしつつ喜んだ。そうして、「この頃はマジ面白かったよな」と嘆きたくなってしまった。ピンクはどうしてもミステリ的な穴が気になるので、そういう点があんまり目に付かないグレート・ゲームが、いまのところ総合点ではトップかな、と思っているのだが、特にプールサイドでのクライマックス。
 ジョンがあそこで現れてきて、そのときのジョンの表情が、小説で言えば叙述トリックですね、どちらにも読める表情というのが、まあ上手くてびっくりなのだが、それがジョン側からだと、「彼は怒るのではなく傷ついているようだった。つかの間小さな迷子のように見えた。彼に少しの間でも疑われるのは嫌だったけれど、そのときの彼はとても人間的だった。彼自身気がついていないうちに、ぼくたちの友情は彼にも価値あるものとなっていたのだった」って、どういう二次創作ですか〜 過不足無いくらい萌えてしまうではありませんか〜 じたばた。
 この後の、びっくり、ほっ、どっきり、ほっ、という、視聴者の感情翻弄しまくりのシナリオのうまさは、本当に絶妙だと思う。そしてジョンとシャーロックはアイコンタクトだけで、自分たちを犠牲にしてモリアーティを葬り去る決意を確かめ合う。ここのクリフハンガーの回収も肩すかしだ、という見方もあるらしいが、主人公ふたりに死なれるのは困るしね、全然オッケーだったと私見では思います。

 でも、それなのに〜と嘆きたくなるのは、やはりS3の腰砕けぶりがあんまりに思え、こちらと比較するとますます「どうしちっゃたの・泣」といいたくなってしまうからでありまして、特にS3のクライマックスは、ふたりが敵と向かい合うという意味で、モリアーティとの対決と拮抗する設定にもかかわらず、です。
 いや、ドラマを再見すると、あそこでシャーロックがジョンの銃をスリ取ってマグヌッセンを殺害するというのは、すごく意外性と衝撃性がある、とは思う。ヒーローであることを投げ捨てて、自分は手を汚しても守るべきものを守るんだ、殺人者になってもソシオパスでもいい、それ以上に大切なことはないんだ、というのが「メリー・クリスマス!」の意味だから。だけど、前のときは「ジョン、一緒に死んでくれ」「ああ、いいとも」だったのに、ここでは「ジョン、君はメアリを守れ。罪はぼくが引き受ける」だから、違いすぎる。おまけにジョンはただ驚いているだけ。
 そう。自分にとっての問題点は、やはりジョンの鈍さに尽きる。メアリの設定がアンリアル過ぎるとか、マイクロフトのやってることが筋が通らないとか、そういうのはもう目をつぶるさ。もしも、を拡大させても空しいだけだから、できるだけそういうことは考えずに、いまあるドラマをそのまま受容するとして、それでもやっぱりジョンの鈍感さが納得できない。メアリを受け入れるという結論が、彼的にはかなり無理をした理性の判断だったとしても、だからこそジョンはその理性で、どうやればマグヌッセンに勝てるか考えなきゃいけないはず。なのに彼は、シャーロックに「作戦は?」と尋ねるだけで、自分からはなにもしない。シャーロックの顔をうかがっているくせに、彼の内心の葛藤には全然気がつかない。かといって、どうすればメアリを救えるんだ、と焦っているようにも見えない。

 というわけで、ミニマムな代案。ジョンはピストルを抜く。
「そうか。紙の書類はない。ということは、おまえを殺せばすべてが消えるわけだな」
 しかしマグヌッセンは平然とせせら笑う。
「君には撃てませんよ、ミスタ・ワトソン。殺人運転手を射殺したときから、ずいぶん時が経ちました。君はもはや兵士じゃない。ただの平凡な市民です。丸腰の人間を撃てば殺人者だ。おあつらえ向きに、政府から目撃者もご到着になる。そしてあなたが刑務所に送られれば、あなたの悪い妻は守る者も無いひとりぼっちですよ」
 ジョン、ものすごい目で睨む。手が震える。撃てない。しかし引き金にかけた指に力が入る。その銃をシャーロックが背後から、流れるような動きでもぎ取り発砲。驚きの目を見開いて倒れるマグヌッセン。啞然呆然としたまま。彼は自分が絶対損をするようなことはしないので、撃たれるとは全然思ってなかったのでありました。
「シャーロック、なんてことを」
「これでいい。メアリに電話してやれよ、もう大丈夫だって」
「シャーロック、君は彼女のために・・・」
「プレゼントだよ、ジョン。メリー・クリスマス」
 もちろんここには(君への)プレゼントだよ、ということばが隠れていたのでした。

2017.09.07

 朝からずーっと真っ暗で、でも雨は霧雨程度で、気温は予報より低いと思うが、湿度が高くてうごくと汗を掻く。わたしは汗かき。

 昨日のブログを書き足しました。久しぶりの建築探偵満喫で楽しかったっす。写真はツレのブログにあります。

 今日は図書館で長編のためのメモ作り。欲しい資料がないので悶々。

読了本『アレクシア女史〜』 ハヤカワ文庫 前から気になっていたのだが、巻数が多くて二の足を踏んでいたのだが、これはとても面白かった。吸血鬼と人狼の設定が少しご都合主義だね、という感はあるのだが、果敢で気丈でおのれの欲望に忠実な26歳行き遅れ(!)のヒロインが好印象。脇役も多士済々で魅力的。野蛮でマッチョで、だけどヒロインには首ったけのワンコ、人狼団のボスが可愛い。

『アバンチュリエ 怪盗ルパン伝』 森田崇 見事に原作には忠実でいながら、青年ルパンの魅力を満喫できる傑作マンガ。というか、お願い、早く続きを出して。ルパンはみんなこの方のマンガ版で読みたくなってしまう。

2017.09.06

 1泊2日で山形まで行ってきた。
 初日は東北自動車道の米沢への降り口、福島飯坂インターから東へちょいと行った、福島県伊達市にある明治の住宅「旧亀岡家」を見学に。これが実に面白かったのだよ。
 明治30年頃に建てられた、蚕種(蚕の卵、養蚕農家に下ろす)事業で財を成し、地方議員なんかも務めた人が建てた、住居と接客用の2階建てなのだが、正面からの外見は完全に洋館風。八角形を半分に切った形の張り出しが玄関上にくっついて、そのまま塔屋になっている。屋根の棟上には、お城ならシャチホコが着く位置にふたつの尖塔が乗っかっている。
 ところが内部はほとんど和風。通用口は屋内の土間の作業所が付属した、昔ながらの板敷きの台所に接していて、ただ作り付けの水屋の上部が、モールディング風にカーブしているのが洋風。どこまで意識的なものかはわからないけど。それから90度回った階段の手すりが洋風で、洋間がひとつだけあるが、後は畳敷きの座敷のみで、それも農家の田の字形平面(四つの畳間が田の形に並ぶ)に、回り廊下がついている。座敷は普通の座敷かと一見すると思うのだが、これがどの部屋もどの部屋も、床の間周辺に「黒柿」「タガヤサン」「花梨」「埋もれ木」などの銘木がやたら使ってある。天井は秋田杉の杢目の立ったやつを額縁の形に貼り合わせ、周囲は折り上げという「折り上げ格天井」。これは日本建築の天井スタイルの中では、一番格式が高いとされていて、つまり一家の中で一番大事な正座敷に使われるもの。ところが旧亀岡家では、それが半分以上の部屋で使われている。こんな建物、初めて見た。折り上げ格天井の大安売りである。
 さらにこの家には、一階から二階への回り階段、二階から塔屋への回り階段、階段裏の板、階段周りの腰壁など、微妙なカーブを、木材を削り出したり、曲げたり、貼り合わせたりして出すことがそこら中で行われている。回り廊下の隅も、板を放射状に切って合わせている。こんなのも初めて見た。っていうか、あんまり意味無くね?
 つまりこの建物は、やり過ぎと凝り性の塊なんである。こうしたら美しいとか立派だとかいう理由を蹴飛ばして、やっていいんだったら、やれるだけのことをやっちゃうもんね、という、陽性のマニアックが炸裂しているのを感じた。明治である。江戸時代はまだみんな覚えているけど、世の中は変わったんだという同意も形成されている。昔はいくら農家がお金を持っていても、好き勝手な贅沢は許されなかった。お殿様と武士階級の視線を意識して、「農民は農民らしく」質素で慎ましく暮らさないとならなかった。でも、明治のいまはそんなこと気にしなくていい。だからここぞというところに、キキメとして使うのが洗練された美意識であるはずの、あくの強い銘木だってがんがん使いたいだけ使っちゃう。折り上げ格天井、立派だからみんなそれにする。床の間の天井なんて、わざわざのぞき込まないと見えないところまで折り上げ天井。そして輸入品の板ガラス使いまくり。この時代はまだ国内で板ガラスが生産できなかったので、これはもしかしたら銘木以上の贅沢。
 でも、洋館らしい外観は作れたけど、内部構造はよくわからない。本来の西洋建築では階段周りがひとつの見せ場で、目立つところにバンと置くもの。回り階段は基本的に省スペースのためのものだから、空間が十分にあれば使う必要は無い。実用性の観点からしても、上り下りしにくいものね。だけど、これを建てた施主、あるいは設計者は、その「回ってる」あたりに、日本の伝統建築にはない形=西洋を感じたんだと思う。だから、平面構成は真似られなかった分、思い切りあちこちでカーブや曲線を仕込んでみました、と。ひとつだけある洋間の天井は白ペンキ塗りで、傘のように板を放射状に貼り合わせて、中央が空気抜き風に上がっている。こういうのは、どこかの風呂場で見た記憶が。でも、上がっているだけで窓や空気抜きはなかった。つまりこれも構造的な意味は無い。
 いただいた資料によれば、設計は会津藩士の出の江川三郎八、大工棟梁は小笠原國太郎。江川は大工修行の後、山口半六、伊東忠太らの指導を受けたとあるが、いわゆる本流の西洋建築教育は受けていない。明治初期、地方の大工さんたちは東京や横浜に建築見学に行って、そのときの見聞を造形に生かしたという。内部構成に洋の要素が乏しいのは、外見はいくらも見学できたけど、内部はあんまり見られなかったからか。あるいは、部分的な意匠よりも、見て取り入れるのが難しかったからか。洋風は見た目は立派だけど、使うとなったらやっぱり普通の畳敷きに床の間の座敷の方がなじむからか。
 写真は半澤のブログにあります。公式サイトから半澤のfu−roomへどうぞ。

 夜は前から行きたかった「日本で唯一入浴できる間欠泉」に泊まり。山ぶところ深く、細くなる舗装道路のさらに先にダート道を8キロ走った奥。いままで行った中では一番秘湯感かな。

2017.09.03

 明日明後日ちょっと出かけるので、荷物を作る。車だと平気であれもこれも持っていってしまえるので、こういう癖が付くと、自分で運ぶという当たり前の旅が億劫になるのが、なんともよくないね。

 建築探偵ラストで、舞台モデルと漠然と考えていたもののひとつが大倉集古館だったのだが、あれは2019年まで改修閉館中だというのがわかって、そういえばどこかでそんなのを聞いていたっけ、と愕然とする。そうするとやはり、京都で月に2度だけ開く有鄰館に行くかということだな。しかし館内撮影禁止なので、1度ちらっと見ただけでどれくらい実になるかわからん。後はいっそ、全部脳内でやらかすか、というだけだな。

 仕事場の下階に入った一家がDIYなご家庭で、日曜の今日は朝から電動のこぎりを使っていて、これがとてもうるさい。えらそうにいう気はないが、なにかものを考えたり、本を読んだりするのは絶望的。天気もいいし、歩きに出かけるしかないか。
 というわけで、仕事場から山越えしてヒガンバナ群生地巾着田まで歩いてきた。といっても歩いた時間は1時間、歩数1万歩ってところ。ヒガンバナはまだほぼ影も形もなし。わずかに5センチくらいの穂先、アスパラ状、を数本見かけたのみだった。後は今後のお天気次第か。

 日記の更新は次は水曜日、6日になります。

2017.09.02

 昨日の夜は雨で、今朝は肌寒くまだ雨が降りそうだったが、晴れてきて青空。ただしまだ風は強く、この風は冷たい。日が当たると暑く、風に当たると寒い。そして全体的には秋っぽい空気。なんかこういう、一日の内でも体感がくるくる変わるとかいうの、日本っぽくない気がする。

 近所の無人販売で巨大化した茄子を買う。ひとつが600グラム近くあるのが、ふたつで100円。ひとつは炒めて煮た。もうひとつはトルコ料理、焼茄子の皮を剥いてヨーグルトで和える、にしようと思ったが、やたら種が多い。まあ、要するに育ちすぎなのですな。この料理はクルミのみじん切りを混ぜたりすると美味しいのだが、そんなものを混ぜなくても歯ごたえがありそうだ。

 hontoに「7〜21日待ち」という本を注文したら、2週間待たされて「入手できないからキャンセル」といわれた。なんでそんなに待たされるのか理解できない。別にアマゾンみたいに翌日届かなくてもいいけどさ、もう少しどうにかならないの? hontoで頼んでいいのは新刊だけだ。それでもつい、ポイント目当てで注文入れてしまうのが悪いんだけど。

天正遣欧少年使節のひとり、千々石ミゲルの墓が見つかったという驚きのニュース有り。

2017.09.01

 最近の天気予報は全然当たらない。今日の埼玉県は雨だったはずなのに、朝から秋晴れの空が広がっているんだからたまげます。午後になって灰色の雲が一面広がったけど、秋らしい気温です。

 昨日は突然歩きたくなって、近所のハイキングコースを一回り。12000歩ばかり歩いてきました。今日も行こうかと思ったけど、建築探偵の読み返しと、「アレクシア女史」の2冊目が面白くてつい腰が上がらずに。
 人狼と吸血鬼とスチームパンクのヴィクトリア朝、といえばあるある感も強いけど、このシリーズには独自設定がかなり効果的に使われていて、そこが面白い読みどころになっている。しかし概して人狼は善玉系で吸血鬼は悪玉系というのが、作者の好みなのかな。人狼はワンコなので、犬好きの人にはなかなか楽しいかも。

2017.08.31

 8月最終日はまた雨もよいの肌寒さで、8月とは思えない天気。昨日まではすごく蒸し暑かったので、室内には熱気が残っていたけど、それもだんだん抜けてきて、さて着るものに困る気分。なんだか今年は変な天気ですね。ゴーヤは気温の高さにもろ連動しているので、暑い時にばんばん花が咲いて実が付いたけど、その後ぱったりで、このまま終わってしまいそう。去年よりはましだけど、平年並みには達せずという感じ。ゴーヤ料理はバラエティに富んでいるので、飽きることはないから、今年もなんか食べ足りない感です。

 展覧会とか行くとついつい図録を買ってしまうし、他の展覧会のチラシがあればもらってきて、見に行かなくてもそれが印刷綺麗で興味深いと捨てられないし、というわけで、えらいたまっていたのをがつんと整理。といっても、ほとんどは捨てないで仕分けして整理しただけ。図録も本棚から溢れていたのを、クローゼットに場所を明けて並べてみた。
 旅行に行くと出先でもらえるパンフとかチラシとかも、溜まる一方でなかなか捨てずらくて、我ながらえらいことになっているので頭が痛い。適当に時間を置いて、これはもう廃棄、と行かねばならないのだけどね。もう、それを小説の資料にするということも、なくなるだろうし。70歳くらいになったら、ばっさばっさと捨てまくることになるかな。

 建築探偵ラスト長編のために、ノートを取り始める。実は関連のありそうな過去作を見直して、年代や事実関係をまとめ出したのだが、年齢とかそんなに大きくではないけど、1年くらいずれているところが見つかる。どうせそんなの気にするのは作者くらいだと思うので、自分が目障りに感じたらそこは直す、という考えで良かろうとは思っている。

 ハヤカワ文庫の「アレクシア女史〜」のシリーズは2冊目を読み出したのだが、長編を落ち着いて書くには、その前の準備があれこれかかるので、早く先が読みたいなと思いながら、思うようにはならず。

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