2022.04.20
昨日の『らんたん』の感想に少し付け加える。歴史を題材にした小説で、どこまでが資料に基づいた話で、どこからが作者の想像なのか気になったという点だが、特にその辺が気になったのは、ジョサイア・コンドルと鹿鳴館についての文章を書こうとして、関連書籍をまとめて読んでいたためのようだ。
鹿鳴館についてはなにしろ資料が限られている。研究書を書くにしても、小説にするにしても、使える材料は大して変わらない。なので特に小説にする場合は、その少ない資料に書き手の想像が加わることになる。自分の文章でもメインに使った、フランスの文人ピエーロ・ロチの「江戸の舞踏会」という旅行記中の短文は、芥川龍之介の「舞踏会」や三島由紀夫の戯曲「鹿鳴館」の素材にもなったもので、彼がそこに書き付けた辛辣な鹿鳴館評「田舎の温泉町のカジノのようだ」は、鹿鳴館の話をすれば必ず引用されるが、その文章が発表されたのは1885年の4年後のこと。しかし永野芳宣『物語ジョサイア・コンドル』では、1884年に外務卿井上馨の秘書官が、鹿鳴館のダンスパーティで耳にしたことばとして井上にそれを報告し、井上が怒る場面が描かれる。東秀紀『鹿鳴館の肖像』では、コンドル自身がロチに声をかけられ、同じ寸評を聞かされることになる。どちらも小説として書かれているのだから、とがめるべき話ではないのは当然だが、印象はずいぶん違ってくる。歴史小説を読むことで、その時代を理解したという気になることには、それなりに慎重でなくてはならないだろう。
今日は建築知識の連載15回分のフローチャートを作成中。