篠田真由美お仕事日誌

ジョン・ワトソンの告白/ネタバレ注意

BBCドラマSherlock S4E1.2のネタバレを含みます。


 いいさ、まず認めてしまうよ。ぼくは最低な男だった。夫として、自分の赤ん坊の父として最低で、世界唯一の諮問探偵の助手としても、失格もいいところのやつだった。この程度のいい方では追いつかないくらいのね。なにせワイフに死なれるまで、いや違う、死なれてからもそのことがわからないくらいの、大馬鹿者だったんだから。

 さあ、どこから話し出せばいいんだろう。ぼくはアフガニスタンで地獄の埃を舐めて、どん底状態のままロンドンに戻ってきて、クレイジィなシャーロックと出会った。彼はぼくを都会の戦場に連れ出し、そのことによってぼくは救われた。
 それだけでなく、いくらかは彼の助けになれたと信じたい。しかしぼくはそのシャーロックを失った。そうして、彼無しでもう一度自分のばらばらになった人生を立て直さなくてはならなかった。そこに、メアリ・モースタンが現れた。ぼくは彼女に惹かれた。シャーロックが消えて以来初めて心が動き出し、彼女にプロポーズすることに決めた。そうすることでようやく、シャーロックを失って崩壊していた人生をやり直せる、新しいステップに進めると信じて。
 ところが、最低最悪の瞬間にやつは戻ってきて、ぼくの人生の設計図を再びぶっ飛ばしてくれた。そのときのシャーロックのふざけたやり口とか、馬鹿馬鹿しい言いぐさとか、そういうのはもう繰り返すのは止そう。とにかくぼくは当然のこととして腹を立て、絶対にこいつを許すまい、二度と自分の人生に踏みこませまいと心に決め、しかしそれは上手くいかなかった。ぼくは失敗した。彼を再び受け入れてしまった。だが、それは仕方がないじゃないか。あの、腹が立つソシオパス野郎は、それでも世界一頭が良くて、おまけにどうことばを尽くしても足りないくらい魅力的な男なんだ。ぼくがゲイであったら、なんとかものにしたいと思ってきっと痛い目を見ただろう。いやほんとに、その点に関してだけでもヘテロで良かったと思ったよ。
 まあとにかく、ぼくは彼を排除することを諦め、その代わり前とは違った形で受け入れようと考えた。つまり、ぼくとメアリは計画通り結婚する。それならあいつにベストマンをやってもらおう。それこそとんだ大惨事、大ひんしゅくの結婚式になるかも知れないが、それも一興だし、ぼくなんかの結婚式にはふさわしそうだし、それにメアリが妙にシャーロックを気に入っているらしいこともあった。これはぼくにとっては嬉しい誤算だった。戸惑いながらも、もしかしたらスムースに新しい生活に移行できるかな、という気がしてきた。メアリは愛する妻、シャーロックは親友。そんな具合に。
 シャーロックの当日のスピーチは素晴らしかった。あいつがあんなにも人間味のあることばを口にする日が来るとは、予想もしていなかった。嬉しくなかったとはいわない。いや、とても嬉しかった。でも内心、ぼくは彼の変化に少し戸惑っていたと思う。「三人では踊れないよ」と当たり前のつもりでいったことばを、その晩メアリから「冷たくない?」と咎められて、「あいつはぼくらになつきすぎだよ」といったのも、その急激な変化に対する心の抵抗の表れだったんだろう。
 ぼくは、自分自身の変化の方に気を取られていて、シャーロックを注意して見ることなんかしなかった。自分が変わらなけりゃと思っている時は、他の人間が変わるのはあまり嬉しくない。落ち着かない気分になるからね。つまり、それくらいぼくはエゴイストだった。自分がシャーロックになにか変化を及ぼすなんてあり得ないと決めつけたのは、実はそうであって欲しかったからだ。どうだい、本当に最低だろう。
 お隣のホイットニー夫人の息子を探してドラッグ中毒の巣窟に足を踏み入れたとき、ぼくは変に高揚していた。そんな自分の感情が、たった1.2ヶ月で刺激に飢えていたせいだとは思わなかったけど。そしてシャーロックがそこにいるのを見つけて、ああ、くそっ、さすがにこいつはいいづらいな、ぼくは、少し嬉しかったと思う。つまり「こいつはやっぱり、ぼくがいなけりゃだめじゃないか」と感じたってことだ。恥ずかしいけど本当さ。だからいったろう、最低だって。
 だけど、シャーロックはぼくを驚かせ続けた。寝室のジャニーンだ。あのときのぼくが年上の友人にふさわしく、喜んで肩を叩いてやらなかったのは変じゃないか、という意見を耳にしたけど、あのこれみよがしのいちゃつきぶりを前にして、これを本気でまっとうな恋愛なんだろうかどうだろうかと、思い迷って目を疑っていたぼくは別に変ではないと思うよ。その前がジャンキー・シャーロックで、その次が凶暴な兄弟げんかシャーロック、その後にいきなりあれなんだ。「なんだいそれは」といいたくなっても不思議じゃないだろう。でもその後、彼の恋愛ぶりがマグヌッセンのオフィスに侵入するための作戦にすぎなかったと知らされて、ぼくはやっぱりホッとした。恋をするシャーロックや、ぼくをほめたたえるスピーチをするシャーロックより、恋を「ヒューマンエラーだ」と言い切るシャーロックの方が、ぼくには彼らしく思えた。自分がメアリという伴侶を得て、変わっていこうとしているのに、シャーロックには変わってほしくないと思い続けた。そうだ。それがぼくだった。最低のね。

 さあ、それからいよいよ思い出すのが辛い話になる。シャーロックを撃って瀕死の重傷を負わせたのは他ならぬメアリだった。彼女は引退したプロの暗殺者だった。それを知らされてぼくはア然とした。彼女になにか秘密があることは百も承知で、しかし彼女がそれを口にしたくないなら無理に聞くまいと、それだけは思い決めていたから、騙されたと腹を立てたつもりはない。だが、彼女がシャーロックを射殺しようとしたのは、自分の秘密が彼の口から明らかにされることを嫌ったからだ。自分を守るためなら平気で人を殺す。それが彼女の価値観だ。そういう女性を愛せるかと聞かれたら、「まさか」と答えるしかないだろう。とんでもない。それは現代の文明人というより、弱肉強食の野獣の性だ。
 だがシャーロックは彼女を責めるのではなく、そういう女を妻に選んだのは君だ、そういう女だからこそ選んだのだという。その意味ではぼくたち三人は同類だと。それは一種の詭弁だ。おまけに、メアリは自分を死なせず、ただ一時的に無力化することで、自分の命を救ったのだ、とまで。これもまた詭弁としかいいようがない。だが、なぜ彼はそんなことをいうのか。そのことばに耳を貸している内に、ぼくの怒りは行き場所を失った。
 確かにぼくの中には、平和な家庭人であるより探偵の助手であることに惹かれる性質がある。死なすか死なさないかという問題なら、ぼくはあのタクシードライバーを射殺する必要はあったのか。慎重に狙いを定めて、腕なり足なりを狙うことは本当に不可能だったのか。ふたりの注意をそらせるためだけなら、弾が当たらなくても銃声と銃撃のショックだけであの場を救うことは可能だったのではないか。なのに、ぼくは迷わず撃った。殺した。その後、シャーロックと笑いながら飲茶を食べた。
 ぼくにメアリを責める資格はあるのか。そして彼女の体内にはぼくたちの子供がいる。ぼくはその子供に対して責任がある。しいてはメアリの身の安全に責任がある。彼女を家から放り出すことはできない。子供にはなんの罪もないのだから。それに、たぶんぼくはまだメアリを愛している。
 だからぼくはメアリを受け入れることにした。過去は問わない。一緒に子供を育てることで、ぼくたちは家族であれる。ぼくは、自分の生まれた家を好きではない。ぼくと妹は家庭の幸せを知っているとはいえない。だからこそ、自分の子供には決して辛い目を味わわせたくはなかった。それはメアリも同じらしかった。
 しかし、シャーロックがマグヌッセンを射殺するとは思わなかった。それはあまりにも彼らしくなかった。マイクロフトがマグヌッセンと一定のパイプを持っているらしい以上は、彼を通じてメアリの安全を確保することは不可能ではないと思っていたので、あの展開には呆然としてしまった。もっとも、マイクロフトがメアリのためにそんなことをしてくれるかは危ないものだったし、英国政府にとっての重要度となったら、とても比べものにはなるまい。ただシャーロックになにか秘策があるらしく思えたので、ぼくはひたすらそれを待っていたのだ。ほら、ここでもぼくの最低ぶりが露わになる。

 あの後のシャーロックの離陸と、早すぎる帰国のこと。もしかしたら彼は戻らないかも知れないと、ぼくだって考えなかったわけじゃない。胸の中にこみ上げた不安をぼくは繰り返し押し殺し踏み消しながら、別れの時間を過ごした。「きっと帰ってくる」「帰らないかも知れない」「死んでいると思ったのに戻ってきたんだ」「今度は違う」「違わないさ。彼はヒーローだもの」……どちらかが勝ちを占める前に飛行機は飛び上がった。それが引き返してくる時、ぼくは笑った。「ほら、やっぱり」と。最低だね。
 聞き飽きたかも知れないけど、この先ますますぼくは最低になるよ。子供が生まれると、理想の家庭、幸せな家庭というのは簡単な話でないと理解し始めた。赤ん坊は夜中もかまわずに泣きわめく。ぼくらは疲れ果てる。愛も思いやりも干上がりそうになる。その中での最高の息抜きはシャーロックとの犯罪捜査だ。ところがあいつはぼくだけでなくメアリも呼ぶ。赤ん坊を抱えての三人の捜査行。おいおい、なんだこれは。新手のミステリ・ドラマか? でも、シャーロック・ホームズとドクター・ワトソンの冒険とはいいにくいな。なにか別のものだ。アメリカ人が喜びそうな、ポリティカル・コレクトネスに満ちあふれたドメスティックな探偵ものだ。シャーロックのやつ、なんだってそうメアリが好きなんだ。これじゃぼくの立場がないぞ。
 そんなときに、ぼくはあの女性と会った。ささやかなメールのやりとり。キスの代わりのバッテンマーク。ジュニア・スクールの子供同士のような、他愛のない行き来。でも、ぼくはそれをメアリから隠した。こそこそと、彼女が離れたすきに携帯を操作して、それが後ろめたくも楽しい、ささやかな息抜きになった。
 それから、メアリの突然の失踪。逃避行と追跡。モロッコでの再会。そしてロンドンへの帰還。ぼくは本当のところ、メアリを連れて帰るのには不賛成だった。彼女の昔の仲間、復讐者となったエージェイと直面したことがぼくの心臓を凍らせた。彼は本物の暗殺者、野獣だった。ぼくなどは、彼に比べればただのガキだ。エージェイは死んだが、メアリの後ろにはまだこんな存在が隠れているのかも知れない。危険はメアリの後をついてくる。シャーロックが彼女を守るという、そのことばはどこまで信頼に値するのか。
 そしてメアリは死んだ。殺された。MI6内の裏切り者に。ぼくはその瞬間にわずかに遅れたが、メアリはシャーロックに向けて発射された銃の前に飛び出して、その弾を身に受けた。身代わりになったのだ。シャーロックを撃ったことを彼女はずっと、彼への負債として背負っていて、いまそこでその借りを返したのだとはわかった。わかったけれど、ぼくはシャーロックを憎んだ。他に出来ることはなかった。
 おまえがメアリを殺した。ぼくの妻を、ぼくの赤子の母親を、かけがえのない伴侶を。ぼくの最低の嘘。離れかけていた気持ちを糊塗するために、死者に向かって叫ぶ愛。その愛の印として彼を憎んで、憎んで、憎み続けて、だが、それはなんになったのだろう。その憎しみが正当とはいえない、八つ当たりだということを、ぼくはとっくに気づいていた。それでもぼくは憎むことを止められなかった。シャーロックへの怒りと憎悪は、メアリのところまで繋がっていたから。ここでこの憎悪を手放してしまったら、それはぼくがメアリを裏切った証拠になってしまうと、いつかそう考えずにはいられなかったから。
 憎しみの底でメアリと会話し続けた。それは無論、ぼくが生んだ幻のメアリだ。生きていた現実のメアリより、ずっとやさしく穏やかで慈母のようなメアリだ。ぼくをいさめ、シャーロックと和解するようにとうながし続けるメアリに、ぼくはだだっ子のようにかぶりを振り続ける。つまりぼくはぼくの中の、シャーロックを赦したい気持ちをメアリに押しつけて、自分から切り離して拒否し続けていたのだ。生前の彼女を心で裏切っていたぼくには、それが唯一可能な贖罪だったから。

 だけどシャーロックはぼくを待っていた。自分をシリアル・キラーの獲物として差し出しながら、その瞬間にぼくが駆けつけてくれるだろうと信じていた。いや、信じてはいなかったかもしれない。それは彼の賭けだったのかもしれない。冷静に確率を割り出して、五分五分よりは分が悪いと思いながら、敢えてその道を選んだのではないか。もしもぼくが腰を上げなければ、彼はカルヴァートン・スミスに殺されてしまっただろう。
 それでもいいと考えていたのだとしたら、それはあまりにも恐ろしすぎる。もしもそんなことになって、君までが死んでしまったなら、ぼくが君を殺したようなことになったら、止めてくれよ、シャーロック。ぼくは二度と立ち上がれなくなったじゃないか。いくらぼくが最低な男だとしても、その罰にしても厳しすぎるじゃないか。
 どうか止めてくれ、シャーロック。もっと自分を大切にしてくれ。たとえ作戦のためでも、自分の身体を痛めつけるのは止めてくれ。心を切り刻むのはよしてくれ。君は生身の人間じゃないか。切れば血の出る身体と、苦しみ涙を流すハートを持っているんじゃないか。
 ぼくは、君がぼくに望んでいることをすっかりわかっているわけじゃない。そしてもしもそこに、君の推理を的外れなたわごとで刺激する探偵仕事の手助けと、へたくそな文章でつづる記録ブログ以外のこと、もっとフィジカルな接触が含まれているなんてことが、もしもあるんだとしても、それに応えるのは難しい。ぼくはがちがちのヘテロで、どうひっくり返っても、同性と粘膜的な交歓を楽しめる人間じゃない。
 でも、ぼくは君が好きだ。君が必要だ。君がぼくを必要としてくれるなら、とても嬉しい。だからぼくは、ぼくと、こういってしまっても彼女が怒らなければだけど、メアリは、この先もずっと君の声の聞こえるところにいるよ。そして君から「来い」といわれれば急いで飛んでいくよ。だから、そのときはぼくをまた君の助手にしてくれ。最低の、使えない、サンドバッグ代わりでいいから、君の隣を走らせてくれ。それがぼくの希望だ。その希望さえあれば、ぼくはこれからも生きていける。
 いつかロージィに、すてきなママのメアリの話をしてあげよう。そのときは君もそばにいて、ぼくの話に相づちを打ってくれなきゃダメだ。ぼくたちはふたりともメアリが好きだった。でも彼女は死んでしまって、ぼくたちは生きている。彼女の記憶を胸に、これからも生きていく。君とぼく、名探偵シャーロック・ホームズと、彼の業績を記録するブロガー、ドクター・ジョン・ワトソンだ。

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