2019.12.25
今日はアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』の感想を書く。この本が評判になったのは去年の後半で、1年以上経っているからネタバレで行く。これから読む予定だ、という方はこのブログを読まないでください。
コナン・ドイル財団から公式認定された新作ホームズ譚『絹の家』で意識した作家さんだが、ご当人はクリスティ・ファンを自認するだけあって、作中作「カササギ殺人事件」はクリスティ風の本格ミステリとして再現度が半端ない。ベストセラーになっているシリーズ探偵アティカス・ピュントものの第9作という設定で、この探偵が第二次大戦後大陸からイギリスにやってきたドイツ人という設定も、ベルギー人ポワロを連想させるが、事件の舞台となる南イングランドの村も、クリスティが書き続けてきた小世界の感触を思い出させる。美しい田園、だれもが顔見知りの村。しかしそこにも階級差貧富の差が存在し、人々の淫靡な秘密や憎悪、嫉妬が渦巻いている。階段から転落して死んだ家政婦が、村人たちを観察し続け、彼らの隠し事をかぎ当てて楽しむ嫌な女だったことが明らかになるにつれ、不穏な空気が漂い出し、彼女の雇い主だった准男爵が首を切られて死ぬという惨劇が起きる。
ところが、担当編集者が読んでいた小説原稿は、その結末部分がなぜか欠落していて、作家は自宅で飛び降り自殺を遂げていた上、遺書が出版社宛郵送されてくる。それは本当に自殺だったのか。真相を探り、かつ消えた結末を探す編集者の前に、改めて扱いにくい変人だった作家の暗部が次々と浮かび上がる。作家の死が自殺ではなく殺人だったとしたら、だれがそれをしたのか。その動機はどこにあったのか。
凝った仕掛けではあるけれど、そして読んでいるときは面白く感じたけれど、読み終えてみると「うーん?」というのは、彼の他の作品を読んで感じたのと似ている。才気溢れる、小説が上手い、しかも自作の名探偵を憎み嫌いミステリ以外の作品を書いて成功したいと煩悶する作家がコナン・ドイルを連想させるといった「くすぐり」もあって、飽きさせずに読めるのだけれど、なにかこう物足りない、ページ数を費やしたわけには小粒感、がつきまとう。
結末が見つかって作中作が最後まで読み通せると、「ああなるほど」とは思うのだけれど、それがたとえばポワロものの傑作に匹敵するかと云われれば、クリスティの模倣作としかいえない。上巻のラスト1行の意味は、自分でも即座に想像がついたが、探偵役が全く気がつかないので、逆にそれが真相の一部だろうとわかってしまう。犯人の設定もやはりもうひとつで、『メインテーマは殺人』のときも思った、犯人像の不快さを覚えてしまった。
殺された作家も嫌なやつだが、殺した犯人も全然同情する気にはなれず、だからといって探偵役を務めた女性編集者に肩入れできるかというと、この人もあんまり感じがよくない。自分が興味を持てる人物がいないというのも、もうひとつ惹かれない理由だとは思う。『絹の家』はホームズとワトソンの描写が細やかで、原作にはないそうしたディテールが魅力のひとつになっていたし、『モリアーティ』のときは、語り手もレストレード警部もその妻もなかなか魅力的で、だからこそあのラストが破壊的に効いたのだけれど、こちらはそれがなかった。図書館で借りて済ませたけど、それでいいですという感じでした。